今いくよ・くるよの軌跡と死因|「どやさ」に込めた絆と現在の評価
昭和から平成にかけての演芸界で、派手な衣装と圧倒的なテンポ感の掛け合いを武器に一時代を築いた女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」。細身で濃いメイクのいくよさんと、ふくよかな体型とド派手なドレスで豪快に笑わせるくるよさんの絶妙なコントラストは、劇場のみならず全国のお茶の間を爆笑の渦に巻き込みました。
2015年にいくよさんが旅立ち、2024年にはくるよさんの訃報が届いたことで、コンビは天国で再び揃うこととなりました。2026年を迎えた現在も、吉本興業の歴史に燦然と輝くレジェンドとして、その温かな人柄や卓越した話芸へのリスペクトは失われていません。高校時代の出会いから病気との闘い、そして今なお愛される「どやさ」の真髄まで、二人が駆け抜けた激動の生涯を振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:高校の同級生として出会い、ソフトボール部の黄金バッテリーから女性漫才のパイオニアへ上り詰めた唯一無二の経歴
- 要点2:いくよさんは胃がん(2015年没)、くるよさんは膵神経内分泌腫瘍(2024年没)により逝去し、最期まで舞台と互いを愛し抜いた
- 要点3:後輩や弟子への深い慈愛と「どやさ」に象徴されるポジティブな芸風は、公式漫才動画などを通じて2026年現在も高く評価されている
【生涯の歩み】高校ソフトボール部から漫才の頂点へ|今いくよ・くるよの華麗なる経歴
二人の歴史は、京都明徳高等学校(現・明徳高校)時代に遡ります。二人は同じクラスの同級生であり、強豪ソフトボール部のチームメイトでした。キャプテンを務め俊足巧打で鳴らしたいまのいくよさんと、強肩強打のエースキャッチャーとして君臨したくるよさん。若い頃のグラウンドで培われた「相手がどんな球を投げても確実に捕球し、打ち返す」という絶対的な信頼関係が、後の漫才におけるテンポと間の基礎となりました。
高校卒業後はそれぞれ別の会社へ就職したものの、笑いの世界への夢を捨てきれず、1970年に夫婦漫才の大家である島田洋之介・今喜多代師匠へ揃って弟子入りを果たします。厳しい下積み修行を経て、吉本興業の看板芸人へと駆け上がっていきました。1980年代初頭の「マンザイブーム」では、男社会だったお笑い界で女性コンビとして確固たるポジションを確立。上方漫才大賞をはじめ数々の名誉ある賞を総なめにし、女性漫才師の地位向上に大きく貢献しました。
【死因と闘病】今いくよさんの胃がんと今くるよさんの訃報|最期まで貫いた芸人魂
二人の歩みに大きな試練が訪れたのは2014年9月のことでした。いくよさんに胃がんが見つかり、闘病生活に入ります。手術と過酷な抗がん剤治療を乗り越え、約2ヶ月半後の12月にはなんばグランド花月の舞台へ奇跡の復帰を果たしました。しかし病魔の進行は早く、2015年5月28日、いくよさんは67歳で息を引き取りました。最期を看取ったくるよさんは「日本一の相方やった」と涙を流し、その絆の深さは日本中に大きな感動を与えました。
相方を失った後も、くるよさんはピン芸人として、また後輩たちの相談役として気丈に活動を継続。しかし2024年5月27日、膵神経内分泌腫瘍のため大阪市内の病院で76歳で永眠されました。くるよさんの突然の訃報に接したお笑い界からは、「天国でいくよさんと漫才を再開しているはず」と、二人の再会を祈る声が相次ぎました。
【名フレーズの真実】代名詞「どやさ」の誕生秘話と体当たり漫才の美学
くるよさんの代名詞となったギャグ「どやさ」は、元々は関西弁(主に京都弁)の日常会話で使われる「どうですか?」「どうよ?」という問いかけの言葉でした。これを舞台上で自分のお腹をポンポンと叩きながら、ハイテンションかつ豪快に放つスタイルへと昇華させたことで、老若男女に親しまれる国民的フレーズへと進化を遂げました。
二人の漫才の真骨頂は、互いの外見をいじり合うスピーディーな掛け合いにあります。細身のいくよさんがつけまつげを飛ばさんばかりにメイクを直せば、くるよさんがド派手なドレスとお腹を揺らしてツッコむ。一見すると辛辣な容姿いじりに見えながらも、根底に溢れる「相方への絶対的な敬意と愛情」が客席に伝わるため、誰も傷つけない陽気な笑いを生み出していました。この完成されたスタイルは、現代の演芸界でも模範的な話芸として語り継がれています。
【後輩・弟子への愛情】中川家ら多くの芸人が涙した追悼コメントと温かな人柄
吉本興業の楽屋において、二人は若手芸人たちにとって「頼れる優しいお母さん」のような存在でした。特に実の息子のように可愛がられていた中川家をはじめ、ハイヒール、サバンナ、ブラックマヨネーズなど、数多くの後輩芸人がその慈愛に満ちたエピソードを明かしています。
若手が悩んでいれば高級ステーキや焼肉をご馳走し、舞台袖からは誰よりも大きな声で笑って励ましを送る。いくよさん、くるよさんが相次いで世を去った際、劇場に寄せられた追悼コメントには、芸人たちからの感謝の言葉が溢れていました。「お二人がいなければ今の自分たちはいなかった」と語る芸人は数知れず、直系の弟子のみならず吉本の後輩全体を育て上げた功績は計り知れません。
【2026年現在の評価】天国で再会した名コンビ|色褪せない漫才動画と受け継がれる笑い
2026年現在、吉本興業の公式YouTubeチャンネルや各種配信プラットフォームでは、今いくよ・くるよの傑作漫才動画がアーカイブ配信され、リアルタイムの劇場を知らない若い世代からも高い再生数を集めています。
コンプライアンスや表現のあり方が激変した現代において、二人が残した「互いを立て合い、誰もが笑顔になれる明るい話芸」は、いま改めて再評価されています。激しいツッコミの中にも品格と温かさを失わない漫才の形は、令和の若手女性芸人たちにも多大なインスピレーションを与え続けています。
【今いくよ・くるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよさんと今くるよさんの死因は何でしたか?
A1:今いくよさんは2015年5月28日に「胃がん」(享年67)、今くるよさんは2024年5月27日に「膵神経内分泌腫瘍」(享年76)で亡くなられました。二人とも病魔と闘いながら、最期まで芸人としての誇りを持ち続けました。
Q2:二人のコンビ結成のきっかけは何ですか?
A2:京都明徳高校の同級生として出会い、ソフトボール部でキャプテン(いくよさん)とエース・捕手(くるよさん)として固い絆を結んだことが原点です。社会人経験を経て、島田洋之介・今喜多代師匠へ弟子入りしプロの漫才師となりました。
Q3:現在、二人の漫才を見ることはできますか?
A3:吉本興業の公式YouTubeチャンネルや演芸配信サービス、過去の漫才特番のアーカイブ映像などで視聴可能です。昭和・平成を彩ったテンポ抜群のしゃべくり漫才は、現在も色褪せない名作として親しまれています。
まとめ:昭和・平成を照らし未来へ語り継がれる二人の笑顔
高校のグラウンドでバッテリーを組んでから半世紀以上にわたり、今いくよ・くるよの二人は唯一無二のパートナーとして人生を共に歩みました。困難な時代にあっても笑顔を絶やさず、舞台に立ち続けた二人の生き様は、多くの人々に勇気を与えてきました。
天国で再会を果たした二人は、今頃あちらの劇場でも「どやさ!」と元気な声を響かせながら、満面の笑みで客席を沸かせていることでしょう。二人が日本のお笑い界に残した温かな光と偉大な足跡は、これからも色褪せることなく輝き続けます。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))